岡豊城

別名-  付近住所 高知県南国市岡豊町八幡 現在-
2007/11/14 碑・案内板アリ 日本城郭大系


長宗我部氏  岡豊城跡は、四国を平定した長宗我部氏の居城として知られる中世の城跡です。長宗我部氏は鎌倉時代に地頭として土佐へ入国したと伝えられており、それ以後、長岡郡を中心に勢力を拡げ、戦国大名へと成長していきました。
 岡豊城の築城は発掘調査の結果、13〜14世紀ころと考えられています。「土佐物語」によると16世紀の初頭に一度落城したと伝えられており、その後、国親により1516(永正13)年に再興され、1588(天正16)年に元親が大高坂城(現在の高知城)へ移転するまでの、約70年間にわたり居城として使われていたといわれています。
 岡豊城は、香長平野に突き出した丘陵であり、標高97mの頂上部(詰)に立てば、眼下に香長平野をおさめ、遠く太平洋も望むことができます。南には国分川が流れ、自然の要害の地でありました。
 城跡は、詰を中心とする本城といわれる部分と西の伝厩跡曲輪、南斜面の伝家老屋敷曲輪の二つの出城からなる連郭式の構造になっています。本城は詰と堀切によりへだてられた二ノ段、詰の南から西にかけて周囲を取り巻く三ノ段、四ノ段からなり、虎口(城の中心となる出入口)は西部に造られています。
 発掘調査の結果、詰・詰下段・三ノ段では礎石建物跡や土塁の内側に石積みが発見されています。また、多量の土師質土器とともに青磁、白磁、染付と呼ばれる輸入陶磁器、瀬戸、備前、常滑などの国産陶器、渡来銭、小刀、また武器として火縄銃の部品(火挾)や弾丸などの遺物が出土しています。
 岡豊城の整備にあたっては、発掘調査の成果をもとに詰、詰下段、二ノ段、三ノ段の土塁や礎石建物跡などを復元しています。

           

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